ひびのあわ

消えないあぶくはどこにある

そういう人に私はなりたい

「めんどくせえな」って頭かいて 人のために汗をかいている そんでなんでもねえよって笑う そういう人になりたいぜ

 

     amazarashi「そういう人になりたいぜ」

 

 河合隼雄は「感謝ができるのは強い人だけだ」と「心の処方箋」の中で述べていたが、僕は「人に優しくできるのは強い人だけだ」と言いたい。

 

 無条件に人に優しくするというのはとても難しいことだと思う。僕のような弱い人はいつも自分のことばかり考えて、人を助けるなんて思いつかない。そして、常日頃世界から害を受けていると思い込むので、たまに(その世界から)優しくされるのは当然でも優しくするなんてことはしない。「そんなことをしては自分の方が相手より下であることを認めることになるのでは?」なんて考えも浮かんでくる。

 

 人に優しくできるのは、余裕があって、強くて、適切な自尊心を持っている人だ。「優しい人」というと、いつもおばあちゃんを思い出す。

 

 僕は物心ついた時からおばあちゃんと暮らしていて、親に叱られたりするとすぐにおばあちゃんのところへ駆け込んでいた。そういう時、おばあちゃんはいつも優しく話を聞いてくれたので僕は救われたような気持ちになった。

 

 おばあちゃんとの思い出として一番印象に残っているのは小学校の授業参観だ。僕はわざわざ来てくれたおばあちゃんにいいところを見せようとして、先生の質問に手をあげて発表をした。でも、実はあんまり質問の答えが思い浮かんでいなくて、話している途中で支離滅裂になって途中で黙り込んでしまった。その後に当てられたクラスの優等生は完璧な答えを発表した。その時の恥ずかしい気持ちは今でもよく覚えている。

 落ち込んで家に帰ると、おばあちゃんは笑顔で「よく頑張っていたね、すごいね」と言ってくれたので、なんだか泣きそうになった。

 

 そんなふうに無条件に存在を肯定してくれる人がいた、という事実は今でも僕の支えになっている。

 

 僕がなりたい人間は、本当になりたいのは、一千万円を稼ぐビジネスエリートでも大勢の上に立つ人でもなく、おばあちゃんのような優しい人だ。他人のためになんの疑問もなく動けるような、そんな人だ。それを認められるようになるまで、随分と時間がかかってしまった。

 

  他人からひどいことを言われても、おばあちゃんなら笑って受け止める。本当に耐えられないのは自分が自分を愛せないことだと認められるようになるまで、随分と時間がかかってしまった。

 

 自分が自分を好きになるために、おばあちゃんのように優しい人に、そういう人に私はなりたい。