ひびのあわ

消えないあぶくはどこにある

心象による拉致

「覚えておきたまえ。殴られたり侮辱されたりしたから傷つくのではなく、傷ついたと思うから傷つくのである」 

        エピクテトス「提要」より

 

 すべては捉え方次第である。

 

 エピクテトス古代ローマ人で、脚が不自由だった。そして元奴隷という経歴を持ちながらストア哲学を修め、自らの学校を開いた偉人だ。

 

 一見すると同情してしまうような境遇を持ちながら、彼はその運命を恨んだりはしなかった。

 

 「心象による拉致」というのは彼が好んで使った言葉だ。

 

 まず心象というのは、ある物事から最初に感じる感情である。例えば、他人から侮辱されたとしよう。最初に湧き上がる感情はなんだろうか。怒り、悲しみ、苛立ち、などではないか。

 

 ではもしその心象に流されてしまえば、その後にとる行動はなんだろう。侮辱し返す、殴る、などかもしれない。

 

 最初に抱いた感情に流されて行動をとってしまう、これが「心象による拉致」だ。

 

 エピクテトスはこれをたしなめる。

 

 彼は言うだろう。「君が傷ついたと思うから傷つくのだ」と。

 

 自分の感情を離れたところから、他人事のように観察する。これは仏教にも見られる考え方で、瞑想もこれを目的として行われる。心理学ではメタ認知という用語で知られている。

 

 心象に拉致されないためには、メタ認知を鍛えることだ。そうすることで、自分の抱いた感情をしっかりと捉え、それに流されないようにすることができる。

 

 心象を抱く、反応する。この流れに一つの休符を置く。これを心がけるだけで大きな余裕が生まれる。

 

 心象は自分自身ではない。自分の思考ですらない。ただの反射的なものだ。

 

 侮辱、冷笑にまともに取り合うな。そんなものはジョークで返してやればいい。