ひびのあわ

消えないあぶくはどこにある

「それはまるで骨のように 私を通る強い直線 私を燃やして残るもの」 黒木渚 「骨」より

 

「神は死んだ」と言った哲学者がいる。

 

 進化論より端を発する宗教の力の弱化、という現象は当たり前のように受け止められている。科学が神になり変わり、世界を支配するようになった。

 

 今なお宗教による争いは絶えないが、着実にその影響力は少なくなった。いまや人々の行動規範は仏典や聖書、コーランではなくなりつつある。

 

 無神論実存主義がもてはやされ、人間個々の考え方を最上のものとする時代だ。

 

 ニーチェは古い価値観を背負っている人々をラクダに例えて批判した。彼の理想は、誰かのではなく自分の考えに沿って行動する「赤ん坊」的無垢さである。

 

 しかし、私はラクダたちの背中に乗っていた宗教という行動規範はなにか別のものにすり替わっている気がしてならない。

 

 SNSを見る。インフルエンサーと呼ばれる人がいる。そしてそこに何万人ものフォロワーがいる。彼らは批判的にインフルエンサーを見ることはしない。インフルエンサーの言葉は絶対であり、リプライ欄は賛同の声で溢れる。

 

 私は、神は死んだのではなくむしろ分裂し増え続けているような感触を覚えた。

 

 多様な価値観や考え方が尊重される時代にはなった。しかし、「自由」というのは一般人にとって重すぎる荷物である。不安から、意思決定を何者かに委ねるのが人間の性だ。誰かのような格好をし、誰かの真似をした喋り方をする。

 

 結局、人々は自分に合ったカミサマを見つけ、崇拝するしかない。これが現代の宗教で、インフルエンサーを使ったカネを産み続けるシステムだ。

 

 別に批判をしているわけではない。昔から人は何かに寄り掛かりたくなるものだし、今後もそうだろう。問題は何を信じるかだ。

 

 私は実存主義を信じていたし、今は奴隷の哲学者を信じている。村上春樹の優しい言葉や、秋田ひろむの力強い声も。

 

 しかし、借り物ではやはりダメだ。結局は、言葉と知識の貪食の末に私は、私にとっての骨を作り出さなければならない。

 

 私の真ん中を通る強い直線。私を燃やして残るもの。